Q&A


Q

電圧とはどういうものか。

A

「電圧」というと圧力のような感じで、力のように思えますが、本来はエネルギーの指標です。エネルギーのうちでも位置エネルギーあるいはポテンシャルエネルギーと呼ばれるものに属します。

位置エネルギーとは、ある位置aに物体を置いたときに物体が持つエネルギーです。別の位置bからその位置まで物体を移動させようとすると仕事をしなくてはいけない。bからaに物体を移動させるとき、物体を移動させまいとする力がかかるということ。だから、位置aで物体を離したとたんに物体は力を受けて運動を始める。

その物体がbに戻るときにはある速度を持っている。このときの運動エネルギーの分が、ちょうどaで持っていた「位置エネルギー」だ、というわけです。つまり、bからaまで運ぶときにした仕事がちょうどaで物体が持つ位置エネルギーだということ。

だから、物体を運んだ人が物体にした仕事の分が、物体が得た位置エネルギーになり、その位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら物体はスピードアップしていくことになります。

物体を地表で持ち上げることを考えておきましょう。物体を持ち上げるとき、人は物体にかかる重力に逆らって物体を持ち上げる仕事をします。この仕事の分だけ、持ち上げられた物体は位置エネルギーを持ちます。さて、物体から手を離すと物体は重力によって加速されながら落ちてきます。最初に物体があった位置では今度は物体は運動エネルギーをもっています。そしてそれは、ちょうど物体が仕事をされたために得た位置エネルギー分に等しいです。

さて、「電圧」関係に移りましょう。

電圧の説明をするとき、私は山の標高のことを持ち出します。私たちの沼津校舎は山の中腹にあり、駿河湾・伊豆半島・三保まで広く見渡せるからです。

電圧とよく言われるが、用語としては「電位差」という方がいいと思います。同じものです。

電位差とは、例えて言うと山の標高です。標高を測るには基準が必要です。その基準は任意に選べます。海面から測ってもよいし、別の場所を基準にしてもよい。そこで、ある低い場所bから何か球を転がして坂道を登り、高いところに持っていくことを考えてください。実際に球を転がすときは、球にかかる重力に逆らいながら球の位置を高くしていく仕事をします。あるところで手を離したら、急はたちまち加速しながら転がり落ちていきます。

電気の場合はどうでしょうか。例えば、固定した正電荷があって、それに向かって別の正電荷をぐいぐいと近づけていくことを考えてください。正電荷同士は反発するので、その反発力に逆らって仕事をします。手を離したら、反発力に加速されてどんどん遠ざかっていきます。

さて、ある標高から、下の基準の位置(球を押し上げ始めた位置)へ転がっていく球の運動を考えてみましょう。基準の位置からある標高まで、2つの道を登るとしましょう。ひとつはゆるいスロープで、道のりは遠いが坂はゆるい。他方は急な坂道で、すぐに上れるけれど持ち上げるのは大変。この2つの道を行くとき、どちらが楽でしょうか。ゆるい坂道は楽だけど時間がかかります。持ち上げる仕事を一歩一歩の歩みに分解すると、ゆるい坂道は一歩の仕事は小さいが、それを何回も何回もくりかえし、目的地の標高につくときには仕事は膨大です。

一方、急な坂道の方は、一歩一歩の仕事は大きいが歩みの回数は少なくて済みます。

どちらが楽か。実はどちらも同じですね。小さい仕事×多数回=大きい仕事×少ない回数、です。

では、逆に高い標高の位置から球がもときた道を転がって落ちていく様子を考えましょう。

スロープのゆるい道を転がるときは、球は少しづつ少しづつ加速して行きます。なかなかスピードが上がらないが、長い時間かけて落ちていくので、最後には運動エネルギーが大きくなっています。

急な坂道の方は、ぐんぐん加速して瞬く間にもとに位置を通過します。しかし、このもとの位置での速度・運動エネルギーはゆっくりゆるいスロープを転がってきたときも、急坂をあっという間に落ちてきた場合も、結局同じです.

翻って考えてみると、この「標高」と言ったものは、物体にかかる力に逆らって物体を移動させる仕事の集積なのです。仕事をすればするだけ標高が上がるのだと思ってください。そして標高が上がれば上がるほど、もとの位置に戻ってくるときには速いスピードで通過します。

もうひとつ注意しなければなりません。山の上に球を押し上げるとき、球の質量が大きいほど、一歩一歩の仕事はつらくなります。それは、球の質量に比例して、球にかかる重力が大きくなるからです。電気の場合も同じです。電荷に働く電気力は、その電荷の電荷量に比例します。

ということは、スロープは同じなのに、荷物が違うと仕事が違ってきます。そこで、この荷物の単位量を運ぶと考えましょう。単位荷物を持ち上げる仕事の集積を標高と対応させましょう。

電荷の単位を持ち出して表すと、「1クーロンの電荷に仕事をして、電荷が1ジュールの位置エネルギーを稼いだとき、電荷の電位は1ボルトだけ高くなった」ということになります。仕事をされる前の元に電位に戻るときには、電荷はちょうど1ジュールだけの運動エネルギーを持っています。

乾電池を使って回路に電流を流すことを考えましょう。1.5Vの乾電池は、化学エネルギーを使って電荷の位置エネルギーを大きくします。電子一個あたりにすると、1.6×10^-19(C)×1.5(V)だけの位置エネルギーが化学反応によって電子に与えられます。この電子は位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら回路の中を運動していきます。電池によって山の上に持ち上げられ、その後転がり落ちていくことが回路の中の電流になる.

さて、電位が高くなって、位置エネルギーが大きくなった電荷は運動を始めます。この運動の原因は、もともとその電荷にかかっている力です。さっきまで力に逆らって移動させられてきたものが、今度は力に従って加速されていくわけです。

もう一度山の話にもどります。球が転がり落ちるとき、加速されかたは坂道の勾配で決まります。勾配がきつければ加速が大きいです。実際、坂道でどんな風に加速されていくかは、その場所での勾配の強さが問題で、そこがどんな標高かはどこまで早くなったかということの方に関係します。つまり、勾配の強さは運動の変化を決め、標高は運動の集積に関係します。

だから、電荷がどれだけ加速されるかは、その位置での電位(電圧)ではなくて、「勾配」で決まるのです。この電位の山の勾配は「電場」と呼ばれます。その瞬間どれだけ加速されるかは、その場所での電場がどれだけかで決まります。

さて、電場とはどう定義するのでしょう。これは、電荷1クーロンあたりに働く力と定義できます。さっきも言ったように、電荷量に比例して、その電荷にかかる力が大きくなります。そこで、基準の単位電荷あたりに働く力を考えて、これを電場の量とします。電場の単位は「N/C」です。そしてこの単位は「V/m」に等しいです。つまり、1mずれたらどれだけ電位が変わるか、という量なのですね。

かなり長くなりました。電位とは、単位電荷が持つ電気的な位置エネルギーです。これからその電荷がどれだけ運動できるかという能力を表します。

ところで、先ほどの電池を使った回路ですが、通常の導体で回路をつくると、電子はどこまでも加速されてスピードアップするというわけではありません。熱振動しているっ導体原子に散乱されて、常にでたらめな方向に弾き飛ばされます。加速されるのは弾き飛ばされてから次に弾き飛ばされるまでのわずかな時間です。でもそのわずかな時間の加速が積もり積もって、少しづつ電位の低いほうへと移動していきます。この平均的な移動速度は実は大体一定です。平均的には加速されないのですね。平均的に一定速度で電子が移動しているとき、オームの法則が成り立ちます。

以上、かえって分かりにくくなったでしょうか。どうでしょう。

Q

電子が流れようとしているのを止めている時が位置エネルギーが高くなったときに相当するのか。

A

「とめている」必要はありません。とにかく、電荷を持った物体が、電気力を受ける空間に存在するときには、その位置座標で決まる(電気的な)位置エネルギーを持つ、ということです。そして、単位電荷あたりの位置エネルギー量がその位置での「電位」になります。空間的な位置が異なると、一般に位置エネルギーの大きさも変わります。すなわち「電位」も変わります。すると、2点間で電位の差「電位差」が存在します。このとき、位置エネルギーの高い地点から低い地点へと電荷が自然に移動するときには速度が増加して運動エネルギーが大きくなります。この運動エネルギーの増加分は位置エネルギーの差の分に等しいです。つまり、単位電荷あたりで考えれば、電位差の分だけ運動エネルギーが増すということです。従って、電位差のあるところでは電荷が加速されて速度が上がっていくわけですね。だから、電位差のことを「電圧」と呼んで、いかにも電荷が押し出されるかのように表現しているのでしょう。

では、位置エネルギーの低いところから、逆に高いところへ動いていくことはあるでしょうか?これは通常、自然には起き得ない運動です。(例えば、反発力が働いているのに自然に近づきあうことはありません。)それで、電荷に仕事をしてやって、位置エネルギーの高いところに外力によって移動させてやるわけです。この仕事は、ちょうど位置エネルギーの増加分に等しくなります。仕事を加えるのを止めてみます。すると仕事が加えられなくなったその位置から、電荷は位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら運動していきます。電源は、この仕事を電荷に加えてやる役目を果たします。

では、位置エネルギーの高いところから、絶対にどんな場合でも位置エネルギーの低いところに行くでしょうか。一般にそうとは限りません.その位置からほんの少しずれたところに位置エネルギーの低いところがないと動き出しません.位置エネルギーは標高に相当します。ある標高にいるときに、その場所に勾配がなければ滑り出しません.電気の場合には、この勾配が「電場の強さ」に相当します。電場とは単位電荷あたりに働く電気力の強さです。ここまで一般化して話を広げると少し難しいですね.

Q:

自転車の空気ポンプを繰り返しポンピングすると、シリンダーの底の部分が熱くなってきた。これはなぜか。

A:

ピストンがシリンダーを摩擦することによる摩擦熱が考えられるが、これだけでは、シリンダーの底だけが特に熱くなることが説明できない。

空気ポンプでシリンダー中の空気を圧縮すると、ピストンによる仕事が空気に加えられるので、空気の運動エネルギーが増加する。つまり、シリンダー中の空気の内部エネルギーが増加する。このあと、熱の出入りなく空気がシリンダーを押し返して元の位置までもどせば、空気が外部に同じ量の仕事を返すので、同じ温度に戻るはずである。ところがビストンをポンピングしているときは、ピストンを引き戻すときシリンダー内の空気が十分に仕事をしないうちに引き上げてしまう。同時に、引き戻すときには外部から新たな空気が流入し、シリンダー内の空気の密度が増加する。これをさらに圧縮することで、シリンダー内の空気の内部エネルギーは再び増加する。こうして、シリンダー内の空気の温度が上がるため、壁面へと熱が流れ、壁面の温度が上昇する。

Q:

授業で扱った電磁石。電池を抜いても暫くは磁力を保持していましたが、どういう仕組みで保持しているのでしょうか?いつまで保持できるのでしょうか? 

磁力を強制的に消す(消磁っていうのかな?)ことってできるのでしょうか?出来るとしたらその仕組みはどういうものなのでしょうか? 

A:

あの電磁石には鉄心が入っています。コイル内部の鉄は、コイルに電流を流して磁場を作ると磁化されます。電流を切ると、コイル線はもはや磁場を作りませんが、鉄心には残留磁気があります。

鉄・コバルト・ニッケルのような強磁性体では、電子スピンによって電子が磁気を持ち、それによって原子一個一個が磁気を持ちます。この磁気は方向と大きさが飛び飛びの値しか取れません。そして、隣の原子同士で磁気を並行に揃えようとする傾向があります。

強磁性体には原子の磁気が揃った領域が存在します。これを磁区と呼びます。磁区の体積は10-12〜10-8m3で、1017〜1021個の原子を含みます。磁区の内部では、原子の磁気が強く結合しあっています。

各々の磁区は、通常の状態ではランダムな方向を向いています。ここに外部から磁場をかけると、磁区は少しづつ回転して外部磁場の方向に並び始めます。これが、電磁石に電流を流して、鉄心が磁化された状態です。

外部磁場を取り除いても、しばらくは磁区の方向が揃ったままになっています。しかし、温度がある程度以上に高いと、原子がランダムな熱振動をするので、この磁気は消えていきます。熱振動によって、磁区の方向がでたらめになっていくのですね。

温度が高くないと、強磁性体には磁気が残ります。永久磁石のような「硬い強磁性体」と呼ばれるものでは、この残留磁気は大きく、消えにくい。鉄などは「軟強磁性体」と呼ばれ、残留磁気も小さい。

この残留磁気を消すことを消磁といいます。電磁石の電流を小さくしていくと、鉄心の磁気も小さくなります。しかし、電流をゼロにしても残留磁気があります。そこでさらに、反対向きの電流を流します。この電流値を大きくしていくと、やがて最初に鉄心が磁化されたときの磁気の値に達します。もちろん磁気の方向は最初のときと反対です。そして再び電流値を下げ、また反対方向の電流を流します。この時、最初にかけた外部磁場ほどに大きくはしません。

このように、電流を反転させながら少しづつ弱め弱めにしながら反転させて磁化していくと、やがて残留磁気は小さくなっていきます。鉄のような軟強磁性体ではこんなに手間をかける必要はありません。逆にフロッピーディスクのようなものを硬強磁性体で作ったら、一度書き込んでから、次に上書きするときもとの磁気が残ってしまいます。そこで、いちいち消磁せねばならず、大変な手間になってしまいます。

テレビモニタなども、電子線に磁場をかけているので、外部から強い磁石を近づけてやると、変な色が着いてしまうことがあります。残留磁気ができたのですね。そこで、良いモニタでは消磁機能がついていたりします。モニタを並べてスイッチを順に入れてみたり、一方で消磁をしてやったりすると、隣のモニタの画面もがくがくとゆれるのが見られます。モニタを起動するたびに自動的に消磁するものもあります。モニタに磁石を近づけたりしていると、アパーチャグリルなど磁化されやすい部品が磁化されてしまいます。モニタの消磁ボタン(デガウスボタン)を押すと、モニタの裏にあるコイルに交流の大電流が流れ、その電流の大きさを小さくしていくことで、上のような次第に減少する反転磁場を作り、部品の磁気を消すことができます。しかし、完全には消えないこともあるようです。

Q:

ドライアイスの液体状態について

A:

二酸化炭素は1気圧では-78.5℃が昇華点で、固体から気体へと相転移します。しかし、気圧が高いときは、いきなり結晶から外界へと自由に逃れて気体状態にはなれなくなります。例えば、二酸化炭素は5.112気圧のとき、-56.6℃で3重点になります。即ち固体・液体・気体の相が共存するわけです。その他のデータは理科年表などを参照して下さい。

Q:

以前、慣性の法則の説明のとき、「もし非常に長い水平面が完全に滑らかだとしたら、転がしたボールを止める要因はなくどこまでも転がりつづけるはずだ。よって、天体の運動を見てもわかるように、物体は運動を持続するのが自然である。」という話を先生がされて、そのあと、「しかし、地球上の運動には摩擦力や重力がつきものだから、物体は運動を持続するのが自然であるとするのは不自然だと思うかもしれない。しかし、それをあえて自然だと言うのにはこういう理由があって…」と、理由を3つぐらい述べられたのですが、忘れてしまったので、もう一度教えてください。

A:

分子間引力による相互作用があるので、重力に支配されている地球上では摩擦をゼロにするのは容易ではない。しかし、摩擦という運動そのものとは別種の効果を減らせば減らすほど、運動そのものの性質がはっきりしてくる。運動そのものの性質は自然な性質で、人間が摩擦を取り除く実験をしたために運動に新たな人工的性質がくっついてしまったわけではありませんね。

運動そのものの性質と書きましたが、これは本来、物体自体の性質です。物体自体が等速直線運動(速度0を含む)を続ける性質を持っている、これを慣性の法則と呼ぼう、ということです。

実際には摩擦の影響や外力の作用を完全に絶つことは不可能です。少なくとも、慣性の法則を究極的に実験したくとも、観測することで物体に作用を加えることになります。でも、敢えて、もし全ての外的作用が理想的に無かったら、等速直線運動をするだろう、それは実験的に摩擦を少なくしていく過程を延長して、頭の中で推測できるぞ、と人間が判断しました。

だから、実験して完璧に確かめることができない。でも、この法則をもとにして、他の、実験的に確かめられる法則を導き、それを実験したらバッチリ実証できた!だから慣性の法則は生きている、それをもとに物事を考えていいのだ、と確信できた。

ニュートンの運動の3法則はみんなこうした性質のものです。力学という言語体系の基礎を定義している法則です。この言葉は自然を読み解くことができる。その言葉の体系の最も源泉部がこの3法則です。

慣性の法則は運動量保存則のもとでもあります。運動量保存則は空間が一様であり、外力の作用が無いときの運動の性格をあらわします。翻ってみれば、慣性の法則とは、力学の基礎として、均一な空間というものの存在を定義しよう、という意味があると思います。

Q:

運動の第1法則である慣性の法則は、第2法則である運動方程式で、働いている力の合力が0という特別の場合に過ぎないのに、ニュートンがわざわざ1法則として独立させたのはなぜですか。

A:

第2法則は、慣性の法則の上に立って、「力」というものと「運動」「慣性」との関係を定義したものです。これは慣性の法則よりもずっと、物事を定義した、という性質の宣言です。「力」を、運動とこのような関係をもつものと定義しました。そうすることで、自然現象が矛盾無く説明できる。だから、この力の考え方は役に立つぞ。この捉えかたで行こう!というわけです。だから、別の自然科学を持つ宇宙のどこかの住人は違った力の捉えかたをしているかも知れない。

Q:

今回の期末の問題を説明するときに、非慣性系(回転台上)から観測したとすれば、慣性力の一種である遠心力を用いて説明してもよいのではないですか。

A:

慣性力というのは便宜的な言葉で、自然の基本的な力とは同じ次元ではありません。慣性力というのは、実在する力ではありません。物体が慣性で動いているのを、力が作用して運動が変化している人から見たら、逆に物体の方に力がかかっているように見える、という相対的なものです。もし、慣性力としての遠心力という概念を用いて説明するなら、非慣性系である回転台上から観測したとき、という風に断ればよい。僕の授業では静止系とか実験室系とか座標変換とか、力学を展開するうえでのお膳立ては省いて、シンプルに、いきなり現象を見に行こうとしています。

Q:

図書館に行って、「物理学」と名のつく本を何冊か読んでみて、あまりに難解で数式が多いことにうんざりしたのですが、情報通信を専攻する者でも、常識として、あの程度の物理学を知っていたほうがいいのでしょうか。

A:

数式を見たとき、その物理的な意味が読み取れればOK。情報でも通信技術でも数式の世話にならないことはないでしょう。さらに数式を言葉として使えればすごくOK。理論家のように、数学を勉強していろいろな計算をしたり、事物の背後の数学的構造を見通して、新しい数学を編み出したりする、ということまでは難しいですね。ちょっと現実的なことですが、就職試験で案外簡単な数式の問題がでるので、単位がとれたらあとはスッパリ忘れよう、では済まされないです。、、でも理論家の書いた、いかにもスマートに数式を展開している教科書は、一般の我々にとって、意味が分からないよね。それを分かるように頭をトレーニングするのがいいんだ!と叱る先生が多いです。

Q:

雲は、光の散乱によって色々な色が混じり白く見えるということでしたが、いつも白く見えるじゃないですか。光の散乱によって色々な色が混じってみえるのなら、日によって白く見えない時があるということはないのでしょうか?

A:

白く見えるときは可視光の7色の光がすべて交じり合っているのですね。しかし、空気の澄んだ夕方など、空は結構青いまま、雲が赤味を帯びたりすることがあります。空気のきれいな高山に行き、日の出・日の入りを見ると、雲が時々刻々と劇的に色を変えて感動することがあります。空気が澄んで水蒸気の粒が小さいと赤寄りの光は余り散乱されずに伝搬し、雲の中の大きな水蒸気の粒のかたまりに当たって初めて散乱する。青い光は水蒸気が少ないときでも途中で酸素や窒素などの原子によって散乱されてしまっている。そのため、雲の中で散乱されているのが赤系統が大部分になる。そんなときは雲も赤味を帯びるはずです。空の色、雲の色をみれば、濾し分けられた光の成分を通じて、大気の状態が分かるのです。そんな目で空を観察してみよう!