>2017/02/06 15:59:31 わたしは、科学が楽しいからその楽しさを子どもに伝えたいという理由で子どもに教えるのはあまり賛成できない。子どもが科学を学ぶ意味を見出させることができるようにもっていくことが科学を教える意義なのではないかと思う。小学校では,理科は楽しい教科です.それが児童期から思春期に移行しはじめる5, 6年生で変化しはじめます.学習内容も多少抽象化し,実験も操作や考えることが必要になり,直接体験のインパクトに頼りきれません.思春期になれば,学んでいる内容についても考えを巡らし,納得するという面が必要になりますね.もちろん10代は感性が先立ちますが,理科では考えて,やってみて,納得する,ということが不可欠.そしてそうした活動をすることが意義があるのだと段々にわかってほしいですね.理科は苦手でも大切な技能と知恵が得られる,と思われる理科でありたい.
by shum 2017/02/06
> 2017/01/23 16:16:24 layeringworld1 ビットコインに関して、名称は知っていたが内容までは知らなかったので今回知れてよかったです。Bitcoinのような仮想通貨に流れると,国家の税収が減り,国家による富の再分配や計画経済は困難になります.仮想通貨はボトムアップで,参加者ひとりひとりの意志でものごとが決まりますが,はたしてその挙句どうなるのか.わかりません.
by shum 2017/01/30
>時代にあった新教育が求められると思う。教育には,あまり変わることなく着実に行われるべき部分もあれば,時代的な要請や先取りが必要な部分もあります.この後者が,以前よりも大きな変動が予見される場合,なかなか捉えにくいものとなります.一方で,教員そのものがお手本にされるという要素も大きいです.学校時代のよい記憶というものは,先生のあり方による場合がかなりあります.教員が時代の動きにどう挑戦していくか,ということは,少なくとも中等教育以上の生徒にはかなりの影響を与えると思います.
by shum 2017/01/30
>レイヤーの範囲はだんだん大きくなっており、国際的な範囲にまで広がっている。そのため、新たに創造性・独創性・コミュニケーションなどが最も求められているものの一つとなってきている。レイヤーの範囲が広い,ということは重要ですね.普遍的な知識を学ぶべき,ということと同時に,人間や社会の多様さをどう受け入れていくか,ということになります.中東からの入国者を次々拘束している国がありますが,国際社会の筆頭に立つ国でもそんな調子ですから,大変難問でもあります.ぜひたくさんの経験をして教師になってください.
by shum 2017/01/30
> 関係があると思う。他者とのかかわりあいを持ちながら学習することによって、自分とは違った考えを聞くことができ、またそれによって自分の考えを再考するきっかけとなる。このような能動的な学習は様々な考えが存在するレイヤー化する世界と大きく関係するのではないだろうか。SNSで何かと書き込み合いが起き、また、SNSで入った情報には右往左往しやすい、という日常があると、一人で考えを深めるという経験がむしろ少なくなるかもしれない。こうした習慣はテクノロジーによるもので、避けがたいものでもある。そのいい面を信じていきたいということかもしれない。
by shum 2017/01/23
>レイヤー化する社会において、今までの伝統的な教育だけでなく、上記のような新しい教育をもっと積極的に取り入れていく必要があると思う。著者は、レイヤー化した社会では、教育は大きく変わらねばならないと触れています。国家の目標でもなく、また、全く個人のこととすることもできない。むしろ世界全体を考えて、何が善いか、どのように切り拓くかを学ばねばならない。もちろんデータサイエンスや人工知能などについても基本理解を備えるべきでしょうね。
by shum 2017/01/23
>それぞれの層において一人ひとりがいかに存在意義を見出すかは能動的学習によると思う。協働の中に自己の存在意義を見いだせる力や感性は重要ですね、確かに。多くのひとにとって、たった一人だけの世界で自己の存在意義を見出すのは難しいことと思います。ネットワークで生きることに生きがいを感じられなければ、そのような働き方は続けられないし効率的でもないでしょうね。
by shum 2017/01/23
>教えられたことをそのまま学習する以前の学力観は、習う者がほぼ同じ1つのレイヤーに置かれているように思える。効率よく、確実に学ぶことが推奨されたが、こうして身につけた能力は、中央集権的な組織の中で効果的に活用されるものですね。それも大切なことだとは思います。現在、組織の中でスキルアップ教育を行う場合、ゲーミフィケーションと言って、ゲームやシミュレーションを用いたコンテンツで学ばれます。これは非常に効率的で、学習動機も高めやすいものです。
by shum 2017/01/23
>現在の社会はインターネットの普及により、膨大な情報量を同時に扱うことが可能となっている。 その膨大な量の課題のクリアしていかなければならない社会の中では、独創的な視点をもち共同で作業に取り組めるような効率のよい人材が求められるようになり、その変化に合わせ教育方法も能動的に活動できる人材を育てる方針を採用しているのだち考えられる。本の中では、プリズムのようなものを使って地下の鉱脈を浮き上がらせ、チャンスを発見するというような喩えが書かれていました。会社組織の中では膨大な問題や業務を振り分けて、各自それに取り組むわけですが、Googleのように半分は自分独自の研究を自分のネットワークでやれ、という創発性重視のところも増えています。系列化された問題の解決だけでは、新規のチャンスに遭遇しにくくなるということもあるでしょう。また従業員の能力開発ということもあるでしょう。これが会社や国のウチソトの区別もなくなると、著者の言うような、国民国家や民主主義の消滅したマルチレイヤーな世界に移行するのかもしれません。
by shum 2017/01/23
> 2017/01/17 17:05:11 3rdindustrialrevolution1 英語は大切なものだから自分もしっかり勉強していこうと思った。実際に次期学習指導要領では小学校に教科英語ができます.そうすると中学受験するひとは試験にパスする英語を練習するでしょう.算数や理科は,知っていれば役に立つ,とか将来の勉強の基礎になるとして,学ぶことも当然と考えられがちですが,英語にどのような必然性を想定しているか.教える先生の意識によってしまうかもしれない.
by shum 2017/01/23
> 必要であると考える。幼いころに英語を学ぶのとある程度の年齢を経てから英語を学ぶのでは大きな差が生まれる。特に言語に関してはこれは顕著であるだろう。しかし英語を学んだために日本語が不自由になってしまっては元も子もない。この点に注意して英語教育を施すべきであると考える。英語のせいじゃなくても,すでに日本語力は弱っていないだろうか.学校で学び,10代後半にもなれば,日本語を駆使した力強く明快な文章,深い思考,豊かな感性でことばをあやつれるようになっているだろうか.それが足りないから英語の入る余地はない,というなら,これは何かが間違っているか,それとも人類の知のトレンドとしか言いようがないかもしれない.デジタルという後戻りできない背景も考えなければならないかもしれない.
by shum 2017/01/23
>私は外国人とのコミュニケーションで一番難しいのは言葉の壁ではなく、思考や習慣の壁だと思っている。言葉は学習すればその壁を越えることができるが、思考や習慣は長年積み重ねたものであり、一朝一夕で手に入れることのできるものではないと思う。重要な指摘だと思います.ことばがわかることが目的なのではない.その先のコミュニケーションが切実に必要だから,入り口を開けるのだ,ということですね.一方で私たち自身が日本を知るということも大きな意味を持つ.
by shum 2017/01/23
> ビットコインに関して、名称は知っていたが内容までは知らなかったので今回知れてよかったです。時間が押して触れなかったですが、仮想通貨は国家のボーダーに無関係であり、なおかつ個人情報を全く持たせないので、国への納税を免れる通過体系になる。(実際にはビットコイン取引を扱う会社に契約して利用するひとが多いでしょうから、その場合はその会社には個人情報を伝えるでしょうが)実際に、ギリシャなど政府の財政が破綻し、通過の信用保証が低下している国のひとに仮想通貨のユーザーが多いそうです。
by shum 2017/01/23
>それは共同体として他者と関わるレイヤー化した社会と似ている部分があると言える。終身雇用で一つの会社に勤め上げることが普通だった時代には、ワーカーは会社での専門に徹していた。現在でも、副業を認めない会社は少なくありませんし、ブラック企業と言われる組織では、若いワーカーに過重労働を強いて、労働に疑問を持つ余力さえないほど使い捨ててしまう。一方、レイヤー化した社会では、人は一つのプロジェクトだけでは生活が成り立たないかもしれない。常に複数のマルチワークをして、そのことによって複数の能力を生かしたり、相乗効果を発揮することを考える。働くことに全時間をつぎ込むのではなく、常にスキルアップや新しい知識やスキルの吸収の機会を求めている。その代わり、寄れば大樹となる組織や国家への帰属感は低いかもしれない。あるいは、ある時期はそのように生活しても、流動的に生きるかもしれない。しかも、このようなネットワークで生きるひとはボーダーレスなので、母国に納税のような形で貢献する割合が低いかもしれない。いまは、会社で働けば、会社から自動的に納税されている。
by shum 2017/01/23
> 本格的に学ぶのは中学校からで十分であると考えらる。 小学校では母国語である日本語で文章を作ったり、物事について考えたりする必要があるため、しっかりとした考える基盤を作るために、母国語と同時に多国語を学ばせることは間違っていると思う。たとえばスイスのような国だと,3~4ヶ国語話せるのはごく普通だという.日常会話でそれだけの言葉が入り混じるし,いずれもヨーロッパ言語なので,それほど遠くはないわけだ.多言語に慣れているヨーロッパ人も,いわば座標系の異なるアラビア語になると,地理的にはさほど遠くないにも関わらず,慣れてるとは言えない.日本語はまた座標系が違う.日本がこれだけ文化的にも注目されるようになると,日本人として他言語に通じることができれば強い.問題は,「日本語でしっかり物事を考える教育が成り立っているか」である.そこまで踏み込めない(思考できない)なら多言語の方がメリットが高いかもしれない.
by shum 2017/01/23
>現代のグローバリゼーションのことを考えると国際的な基準を採用するべきだと私は考える。というよりも日本の教育ガイドラインを国際的な基準に変更することが望ましいと思う。そうすることで今までの日本の良き教育も生かし且つ時代のニーズにも合わすことができるという考えからだ。時代のニーズというものをどう捉えるかですね。日本のニーズと世界共通のニーズをすり合わせるのはなかなか難しく、また日本人自身に切実な必要性が感じられないかもしれない。国際標準に合わせることで、海外の大学に応募できる、海外から学生が来やすくなる、ということがあります。これにメリットを感じるかどうか、考えたい。
by shum 2017/01/21
> 2016/12/05 16:11:09 greekphilosophy1 思想や文化とはその地方や国独特の歴史や風潮があるために生まれるものであるが、現代においては、先進国が発展途上国の政治等に介入してしまっているために、貧富の差などの問題などは改善されてきているが、その一方で、その国特有の文化や考え方が失われてしまっていることが考えられる。あらゆる面で多様性ということは必要。多様なものの共生ということが、複雑系の環境に適応して生存するために必要条件になる。しかしなんらかの効率性とその数値評価を求めると、標準化や規格化が必要になる。また、たとえば途上国や新興国では先進国の技術システムが強く求められることも事実。雇用が確保できたり、社会インフラをより確実に強化し、また現地の技術水準を向上させる。枚挙にいとまはないですが、たとえばインドの鉄道建設(インドは英国が入っていたので世界史的には早い時期から鉄道が敷設されていますが、それは英国の貿易のために作られたようなものでしょうね)に日本の技術援助が入ることで、高度に安全なハードウエアから、秒の単位で正確な運行を確立するソフトウエアまで、インドの技術陣にとって目覚ましい学習ができたと言われます。また一方、均一化ということは、途上国国民にとっては成長を意味しますが、先進国では労働を奪われたり賃金が減少することを意味する。これが欧米で典型的に顕著になっていますね。科学技術文明のもとではグローバル化が進むのは自然ではないでしょうか。それをコントロールしてせき止めようとするのは政治。しかし、グローバル化をしても利益が全体として上がらなくなっているということが、直面する問題の困難性だと思います。
by shum 2016/12/09
> 2016/12/05 16:06:42 nationstate1 苦手な分野を避けて通りがちであるが、きちんと向き合って苦手を克服して、多方向から考えられるようにしたい。領域化、専門細分化すると知識の増大が加速するということが、経験的に見られてきました。一方で、ご指摘のように、得意不得意、必要不必要などの排除感情が生まれてくるのですね。日本の、大学を中心とした高等教育では、教養教育の重要性と、専門教育の比重の配分とが繰り返し議論されています。専門知識が膨大化する一方、教養教育によって専門分野の価値をいまいち検討できないので、両者が噛み合って知識社会を是正するという実感が湧きにくいのです。
by shum 2016/12/09
> 2016/10/31 15:36:36 medievalempire1 すなわち、それぞれ新しい技術をただ見せびらかし、称えられるだけでなく、それに対して予想される問題点を世界規模で議論し、その解決策を各個人がしっかり理解し、把握できているような社会にしていくべきなのではないだろうか。人工物が環境や心理にどのように影響を及ぼすのかを推論し、検証するというのはまさに科学の仕事です。それが仕事として成立するように支援されるべきでしょう。
by shum 2016/11/28
> 2016/10/31 15:36:38 medievalempire1個人一人でできることが多くなり、多文化交流も個人個人のものになっていったり、今まで国家間で主になされていたことが個人個人でも行われるようになっている。個人個人でやっていく、ということは、人と人とを、組織や国家を通じてではなく、ダイレクトに結んでいくということでしょう。組織を介在させないことによって状況に変化をもたらす可能性が出てきます。
by shum 2016/11/28
> 2016/10/31 15:31:45 medievalempire1 なるほどと思った。過去のメリットデメリットから現代を考察していけば、もっと良くなったかもしれないと思った。科学技術が生産に大きな影響を及ぼし、さらに資本主義システムがそれに大きく作用する、という状況は人類史的に歴史が浅く、かつ近年は「知識基盤社会」といわれ、ハードウエア以上に知識の流動が社会を急速に変動させると言われています。そのような未知の時代だからこそ、逆に歴史の中に人間を知る必要も高まっていると思います。古代・中世にはローカルな知恵で大体間に合っていた。
by shum 2016/11/24